【釈尊花祭御和讃】
(しゃくそんはなまつりごわさん)
三千年昔ルンビニの
花の御園の生まれしし
玉のおの子は人の世の
救いの御親となりたもう
天にも地にもひとりなる
尊き我に目覚めよと
教えの給(たま)いし法の花
後の世までも香るなり
心の花も咲き匂う
卯月八日の花まつり
幼き姿のみ仏に
甘茶灌ぎて祝わなん
こんにちは、今日はお釈迦様のお誕生日です。
灌仏会(かんぶつえ)とも言われています。
境内の椿と姫リンゴの花が綺麗に咲いていたので飾りつけをしました。
法要を終え、住職の法話を聴きました。
花まつりは、『天上天下唯我独尊』
ただ我ひとりとうとしとは翻訳してはいけません。誰もがそれぞれが生きていることが全て尊い、この世に二つとない命とお釈迦様がお示しされています。
河原の小石、道端の雑草、人間の命、それぞれがたったひとつの存在でこの世の役割をそれぞれが果たしている尊い存在である。
それと同じくらい有名な言葉の一つの話があります。
あまりにも歳をとりそれでも毎日農作業や作務をされているものだから、お弟子さんが桑や用具を隠しました。
そうしたらその人は、一日作務をすることができなくなったので食事を一日摂られなかった。
その時に有名な言葉で『作(な)さざれば一日食らわず』いう風に示されました。
すると多くの人が、『働かざる者食うべからず』とこういう風に示されました。
これは良くお話しする仏教の戒律と同じであります。
他の宗教は盗んではいけません・殺してはいけませんと全て命令形なのですが、仏教の全ての教えが、私は盗みません・私は殺しませんと自分自身の自戒なんです。
ですから『作さざれば一日食らわず』と言われたのは自分自身のことです。
『働かざる者食うべからず』は人に言った言葉ではないのです。
自分自身が今日は自分の勤めが果たすことができなかったから、一日食べないでおこうと言う自戒になります。
それは人に押し付けるものではなく自分の自戒であります。
天上天下唯我独尊がこの花まつりを通じて本来の意味の、ひとりひとりが全て尊いんだ。
そしてひとりひとりが全て役割を担って産まれてきて今があるんだ。
私たちは産まれてそして歳を取って病気になって死んでいくと言うのは、みんな同じであります。
お釈迦様の誕生日、そして悟られた日、そして亡くなられた日、この三仏忌をこうして毎年これから勤めていこうと思います。
毎年この行事が私も勤め、その後弟子たちも同じように続いていければありがたいと思っています。
お話の後、皆さんで甘茶をいただきました。
お参りいただきありがとうございました。
合掌