林泉寺紹介

由来・歴史

奥吉野白川郷は地名の如く、古来京都の内裏と関係があり、公家の林家からの紹介によって、天文11年(1542年)開基上西家(現在の香芝市)よりお堂を建立して、白雲山林泉寺と号しました。
寛永18年(1641年)、豊川稲荷十四世覚月応是的大和尚を開山に迎え、三田市心月院の末寺となり曹洞宗となる。
明治維新の先駆け、天誅組が十津川より逃れ来て立てこもり(1861年)、火事により焼失。
その後二度再建し、昭和42年(1967年)池原ダムによる水没に伴い移転し、新築建立され現在に至っている。
九集落、529世帯が水没した。
筏を組んで下流(現在の新宮市)に流す、林業中心の経済基盤が無くなり、檀信徒は都市部に移転した。
ご本尊様は、十一面観音菩薩。
檀信徒34軒、内白川区12軒の限界寺院に迫っている。
満福時にとっては、副住職に必要なお寺であります。
都市部のお寺と地方のお寺と、お互いに助け合う良い関係を築いて参ります。

護鬼佛理天像

境内には、害虫駆除サービス「SEARCH(サーチ)」を運営するSONOが、ゴキブリを供養する為に建立した、護鬼佛理天像(ごきぶりてんぞう)があります。

像は彫刻家の天野祐夫さんが2000年に制作したもの。
「ゴキブリの腹上に寄生する都市」という現実とは逆転の構図を描くことで、3億年前以上前から地球に住むゴキブリに対して新参者の人類が駆除を行うことの薄情さを埋め合わせる意図が込められています。

また、偶然にも長田区に天野裕夫さんの作品を見つけました。

像は同じく彫刻家の天野祐夫さんが1996年に制作したもの。
場所は、平田南橋東交差点の南側(板宿駅前駐輪場前)にあります。
(元はダイエー板宿店横にあり移転されたそうです)

説明板には、
この作品は北アフリカの地中海沿岸(現在のチュニジア)にあった古代都市カルタゴをイメージしたものです。
カルタゴは紀元前3世紀ローマ軍によって破壊されましたが、後年再建され、美しい港湾都市として栄えました。
阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸も、カルタゴのように力強く再興してほしいという願いを込めています。と書かれています。

初めて通りかかった際、特徴のある作品に目を惹かれゴキブリ天像に似ていたので気になって見に行きました。
板書に刻まれたお名前を拝見し驚きました。
天野裕夫さんの作品を通して不思議なご縁を感じています。

年間行事

1月2日 初祈祷大般若会 14時
開運招福厄難消除 家内安全心願成就
2月初日曜日 豊川稲荷初午祭  14時
2月15日 お釈迦様涅槃会 内献
3月中日 春季彼岸会  14時
4月8日 釈尊降誕会花祭り 内献
8月14日 お盆施餓鬼会 13時30分
9月中日 秋季彼岸会  14時
     引続き護鬼仏利天祭
12月8日 釈尊成道会 内献
12月31日 除夜の鐘 23時

施餓鬼供養の様子

お骨じまい

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